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佐藤二朗の若い頃!役者に憧れてもだめだった暗黒の20代とプロフイール

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佐藤二朗さんといえば、独特の存在感で周りを引っ張っていく俳優さんです。

俳優だけでなく、監督や脚本家としても多くの仕事をこなしている、マルチな俳優です。

その佐藤二朗さんですが、大学を卒業して就職した「リクルート」を1日で退社するという、普通では考えられない行動に出てしまいます。

その後再就職しますが、役者に憧れながらなかなか役者の道に踏み込めない、サラリーマンとの
二股生活が続いていました。

サラリーマンの仕事に熱意も感じられず、かと言って役者で1本立ちする自信もなく、中途半端な気持ちだったようですね、

今回は、佐藤二朗さんの暗黒の20代と、詳しいプロフィールを紹介します。

佐藤二朗の若い頃!役者に憧れてもだめだった暗黒の20代とプロフイール

暗黒の20代

佐藤二朗さんは、大学を卒業してから、「演劇ユニットちからわざ」を設立して、演技の勉強を続けていました。

演出家の堤幸彦さんに声をかけられ、そのつてで仕事が入ってくるようになったのです。

それまでの佐藤二朗さんは、

・就職活動で25社落ちる

・ようやく決まったリクルート社を、1日で退社する

・2年間俳優養成所に通うが、入団試験に落ち続けて劇団員になれず

・広告代理店に再就職してからも、俳優養成所に通い続ける

 

その辛かった20代の頃を、佐藤二朗さんいわく「暗黒の20代」で、心がボロボロでとてもつらい時代だったので、二度と戻りたくないと話していました。

役者として1本立もできずにもがき苦しんだ、そんな経験が今の演技に生かされています。

見てくれる人はかならずいる、そう考えて前を向いて進んだことが、今の佐藤二朗さんの力になっているのでしょう。

役者を諦めることができない

役者になることが諦めきれず、27歳の時に通っていた養成所の仲間と「演劇ユニットちからわざ」を設立。

仕事が終わった後、稽古場に直行という生活を続けていました。

佐藤二朗さんがそんな生活を続けながら、演技の勉強に力を入れていた時に、突然転機が訪れます。

堤幸彦さんに見いだされる

31歳のときでした、今までの活動が、演出家の堤幸彦さんの目にとまることになったのです。

堤幸彦さんといえば、演出家としても映画監督としても日本を代表する人物です。

95年のテレビドラマ「金田一少年の事件簿」が、斬新な演出で大きな話題になりました。

それ以後「ケイゾク」「トリック」「SPEC」とドラマでヒット作を量産されています。

その堤幸彦さんに見いだされて、2000年の「ブラックジャックII」に医者役で出演してから、仕事が次々に入るようになったのです。

たったワンシーンの出演だったのに、主演の本木雅弘さんの事務所社長に声をかけられ、フロム・ファーストプロダクションに所属することになります。

佐藤二朗さんのツイッターを集めてみました。

大河ドラマ「鎌倉の13人」の出演を始め、様々なツイートがされています。


佐藤二郎プロフイール

生年月日 1969年5月7日
血液型 A型
身長 181cm
出身地 愛知県春日井市
出身高校 東郷高校
出身大学 信州大学 経済学部

芸能活動詳細

1996年 演劇ユニット「ちからわざ」設立
自転車キンクリート入団「怖い日曜日」でドラマ初出演
2000年 「ブラックジャックカルテII」に出演、その後映画やドラマの出演増える
「ごくせんシリーズ」「電車男」「夜王」など連続ドラマに出演
2008年 「拝啓トリュフォー様」でドラマ初主演
「memo」で監督デビュー
2009年 「幼獣マメシバ」で映画初主演

以来数々のテレビドラマや映画に出演し、最近では大東建託のいい部屋探しのTVCMで、女優の桜田ひよりさんを相手に、子離れできないダメおやじを演じて好評を博しています。

脚本家としても活躍し「ケータイ刑事 銭形泪」や「恋する日曜日」などの脚本を手掛けています。

まとめ

今回は、佐藤二朗の若い頃!役者に憧れてもだめだった暗黒の20代とプロフイールを紹介しました。

今では押しも押されもせぬ、個性的な性格俳優として活躍をしている佐藤二朗さんも、大学卒業後の暗黒の20代の辛い時を経験していました。

俳優だけで食べていける自信がない中で、それでも養成所に通って演技の勉強を欠かさなかったのが今につながっています。

これからもますます活躍が期待される佐藤二朗さんは、奥さんを溺愛する愛妻家としても知られています。

息子さんとのツイッターのやり取りも面白いと評判です。

 

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