フィギュアスケートの宮原知子さんが、引退を表明しました。
4歳頃スケートを始めてから、24歳の引退表明まで輝かしい成績を残しています。
引退を表明した3月26日は、自分の24歳の誕生日でした。
そんな宮原知子さんを励まし応援していた兄弟と両親、今までのフィギュアスケートの成績を調べてみました。
宮原知子の兄弟や両親は?フィギュアスケートの始めから引退まで
宮原知子の兄弟
宮原知子さんの兄弟は、由紀子さんという妹さんが一人います。
一時期宮原知子さんと一緒に、フィギュアスケートをやっていたようですが、体操に転向していました。
小学校の頃から京都市の体操の大会で入賞しています。
知子さんはしっかりした、真面目で努力家で有名ですが、妹の由紀子さんは明るく誰とでも友だちになれる性格で、姉妹でもぜんぜん違う性格のようです。
知子さんの試合には、家族揃って応援する姿が見かけられるようです。
宮原知子の両親と祖母
宮原知子さんの両親は、どちらも医師で京都大学医学部附属病院に勤めています。
父親の亮さんは、呼吸器外科の部長。
母親の裕子さんは、血液内科の副部長です。
両親がどちらも医師として忙しい毎日で、宮原知子さんの面倒を見ていたのは祖母の淳子さんでした。
淳子さんが毎日の生活とスケートリンクへの送りを、両親に代わってやっていました。
そのかいがあって、知子さんは後の活躍ができるまで成長していったのです。
宮原知子さんと淳子さんの仲はとても良く、知子さんは時間があればなるべく淳子さんの家に行くようにしているようです。
知子さんが来る日は、好物の魚料理、肉じゃが、野菜の天麩羅などの手料理を作って待っているそうです。
淳子さんは一人暮らしなので、一日誰とも話す機会がないこともあり、知子さんと話せるのがとても嬉しいようです。
淳子さんの初の外国行きになった平昌オリンピックの応援。
孫の知子さんの活躍を見て、とても嬉しく思っていると言っていました。
宮原知子さんが今まで活躍して成績を残すことが出来たのは、祖母を始め両親や妹の応援があればこそです。
4歳で始めたスケートで20年間滑り続けてきたのは、本人の努力と家族の応援、濱田美栄コーチの
指導がうまくいった結果でしょう。
宮原知子スケートを始めた時
宮原知子さんが初めてスケートで滑ったのは4歳の時。
場所は、両親の仕事の関係で暮らしていた、アメリカテキサス州ヒューストンにあったショッピングモールのリンクです。
5歳から本格的な教室に通っていましたが、言葉が通じないなどで2ヶ月でやめてしまいました。
そんな時に、まだ当時生存していた祖父の言葉で、スケートを続けるようになります。
やはり自分が好きになれるものだと感じたのでしょう。
7歳のときに京都に帰ってきて、祖母に連れられて醍醐スケートリンクで練習を始めます。
そのときに出会ったのが濱田美栄コーチで、それ以来コーチと二人三脚で、数々の成績を残すようになります。
宮原知子フィギュアスケート成績
2021年
月 | 大会名 | 順位 |
3 | 世界選手権 | 19位 |
2020年
2 | ババリアンオープン | 優勝 |
12 | 全日本選手権 | 3位 |
2019年
2 | ババリアンオープン | 優勝 |
3 | 世界選手権 | 6位 |
9 | USインターナショナル | 優勝 |
11 | GP中国杯 | 2位 |
11 | GPロシア杯 | 4位 |
12 | 全日本選手権 | 4位 |
2018年
1 | 4大陸選手権 | 3位 |
2 | 平昌オリンピック | 4位 |
3 | 世界選手権 | 3位 |
9 | USインターナショナル | 優勝 |
10 | GPスケートアメリカ | 優勝 |
11 | GPNHK杯 | 2位 |
12 | GPファイナル | 6位 |
12 | 全日本選手権 | 3位 |
2017年
11 | GPNHK杯 | 5位 |
12 | GPスケートアメリカ | 優勝 |
12 | GPファイル | 5位 |
12 | 全日本選手権 | 優勝 |
2016年
2 | 4大陸選手権 | 優勝 |
4 | 世界選手権 | 5位 |
9 | USインターナショナル | 優勝 |
10 | GPスケートカナダ | 3位 |
11 | GPNHK杯 | 2位 |
12 | GPファイル | 2位 |
12 | 全日本選手権 | 優勝 |
2015年
2 | 4大陸選手権 | 2位 |
3 | 世界選手権 | 2位 |
4 | 世界国別対抗戦 | 3位 |
9 | USインターナショナル | 優勝 |
10 | GPスケートアメリカ | 3位 |
11 | GPNHK杯 | 優勝 |
12 | GPファイナル | 2位 |
12 | 全日本選手権 | 優勝 |
2014年
1 | 4大陸選手権 | 2位 |
3 | カルデナスプリング杯 | 優勝 |
9 | ロンバルディア杯 | 優勝 |
10 | GPスケートカナダ | 3位 |
11 | GPNHK杯 | 3位 |
12 | 全日本選手権 | 優勝 |
2013年
8 | アジア杯 | 優勝 |
11 | GPNHK杯 | 5位 |
11 | GPロシア杯 | 5位 |
宮原知子の今後
宮原知子さんの引退後は、プロのスケーターとして進んでいくと話しています。
一部で両親と同じ医師になるのではとの噂もありました。
そうではなく、20年間慣れ親しんだフィギュアスケートの経験を生かして、プロのスケーターとして活躍の場を広げていくのでしょう。
これからは、違ったリンクで華麗な演技を見せてくれるはずです。
まとめ
今回は、宮原知子の兄弟や両親は?フィギュアスケートの始めから引退までを紹介しました。
宮原知子さんは、4歳でスケートに出会ってから、3月26日の誕生日の24歳で引退するまで、数々の好成績を残しています。
その好成績を残すのに、妹や両親、祖母の協力があって初めて成し遂げられるものです。
特に忙しかった両親に代わって、宮原知子さんの面倒を見てくれたのは祖母の淳子さんでした。
・宮原知子の兄弟
・宮原知子の両親と祖母
・宮原知子スケートを始めた時
・宮原知子フィギュアスケート成績
・宮原知子の今後
フィギュアスケートは大変に体力を使う競技です。
宮原知子さんも過度のダイエットから、股関節の疲労骨折で長い間スケートリンクから遠ざかっていることも有りました。
これからは体を大事にして、プロスケーターとして色んな場面で活躍してくれるでしょう。