今では人気YouTuber「カジサック」として名前が売れている、キングコングの梶原雄太さん。
あっという間に有名なお笑い芸人になったキングコングの梶原雄太さんが、YouTuber「カジサック」として活動を始めるきっかけは何だったのでしょうか?
大阪出身で有名になったお笑い芸人が、テレビの出演が多くなって忙しく活動することになっていきます。
しかし、忙しくなればなるほどプレッシャーが多くなるのも芸人の辛いところ。
人気番組「はねるのトびら」が終了して、キングコングの梶原雄太さんが取った行動が、YouTuber「カジサック」として再出発するということでした。
キングコングの梶原雄太
キングコングの梶原雄太さんの芸人としての経歴
吉本総合芸能学院(NSC)大阪校入学。
(NSC)でコンビを組んで人気が出ていたが解散。
その後、現在の相方の西野亮廣さんと、キングコングを結成。
2000年「NHK上方漫才コンテスト」で最優秀賞を受賞。(キングコング結成5ヶ月目)
関西の新人賞レースを総なめにするほどの人気のコンビになる。
2001年に始まったばかりの「M-1グランプリ」決勝進出。(結成2年目)
2001年「はねるのトびら」が始まり、若者に大ウケで人気コント番組となる。
キングコングも有名お笑い芸人として有名人の仲間いりを果たします。
キングコングの梶原雄太の悩み
売れてくるにつれて、大阪と東京の往復や東京の人間との付き合いが多くなってきて、自分のカラーを出すために無理をすることが多くなります。
全国ネットのテレビ局の仕事が増えるにしたがい、プレッシャーもそれにともなって大きくなっていきました。
大阪で天下を取ったつもりのキングコングの梶原雄太さんも、東京のテレビ局ではうまく動くことができなかったのです。
その結果が2003年の失踪騒動につながります。
失踪前に相方の西野亮廣さんに「辞める」と伝えたが了解してもらえなくて、さらに追い詰められていったようです。
結局は仕事が忙しすぎることと、プレシャーが大きいことが心身の不調を起こしていた原因です。
2ヶ月が過ぎようとしたときに、相方の西野亮廣さんが待っていると聞かされ、謝りに行って許してもらいます。
2003年5月に「はねるのトびら」に復帰しています。
2007年に実に6年ぶりの「M-1グランプリ」出場を果たし、決勝戦に進出して3位となりました。
しかし、この頃から相方の西野亮廣さんが絵本制作などを手掛けるようになり、コンビでの活動が少なくなっていきます。
梶原雄太さんは2012年に「はねるのトびら」が終了する頃には、芸人としての限界を感じ始めていました。
相方の西野亮廣さんがビジネスマンとして成功していることも、なにか別のことをしなければと考える理由になっています。
考えた末に導き出したのがYouTuber「カジサック」として活動することでした。
YouTubeの凄さに気がついた
梶原雄太さんが「はねるのトびら」が終了して、芸人としての自信をなくしていたときに、あるイベントで驚くことがありました。
2017年10月に行われたレッドブルのイベントで、スペシャルゲストとして登場したのがYouTuberのフィッシャーズさんと水溜りボンドさんでした。
その時の観客の興奮が半端ではなく、そのどよめきにびっくりしたといいます。
そのことがあってからは、有名なYouTuberの動画を見るようになり、その面白さにハマっていきます。
それからYouTuberと芸人のコラボをすると面白いと考え、様々なYouTuberとの関係を作っていきます。
この流れが、YouTuber「カジサック」としての今がある、その原点です。
ラファエルさんを手始めに、ヒカルさんの動画に出演するなど、YouTuber「カジサック」として名前を売っていったのです。
梶原雄太さんは、芸人として吉本興業に所属しながらYouTuber「カジサック」として活躍しています。
2019年末までチャンネル登録者100万人にいかなければ芸人を引退するという強い決意でYouTubeを始めています。
YouTuber「カジサック」チャンネル登録者
2018年10月チャンネルカジサック開始。
2018年10月 約33万人
2019年7月に、予想より早く100万人を突破しています。
その後も順調に登録者を増やしています。
年月 | チャンネル登録者数 |
2019年9月 | 約121万人 |
2020年6月 | 約203万人 |
2021年7月 | 約224万人 |
2022年6月 | 約234万人 |
2022年7月 | 236万人 |
このように、順調にチャンネル登録者が増えています。
芸人とYouTuberの二刀流
芸人の梶原雄太さんが、YouTuber「カジサック」として真剣に二刀流に取り組んだ結果が、236万人のチャンネル登録者に表れています。
今まで片手間でYouTubeをやっていた芸能人はいましたが、梶原雄太さんのように腹をくくってYouTuberとして活動する人はいませんでした。
喋ることの得意な芸人さんが、自分のネタをテレビではなくYouTubeで、10代から20代の若い人達にアピールすることができたのがYouTuber「カジサック」です。
梶原雄太さんはYouTuber「カジサック」を中心に、ラジオなどでの番組に出演するなど生き生きとした生活ができています。
最近の芸人は、人気が出るとテレビ出演が多くなり、眠る時間もないくらいの仕事が入って、体を壊して消えていく人もいるようです。
梶原雄太さんも一時期そのような状態になって、心身に不調をきたして仕事を休んでいたこともありました。
みんなに迷惑をかけたことでずいぶん悩んだときもあったようですが、今はYouTuberとしてしっかりとした地盤を築いています。
まとめ
今回は、キングコング梶原がカジサックとしてyoutubeを始めたきっかけとは?を紹介しました。
キングコングの梶原雄太さんは、大阪でのブレイクから東京でのテレビ出演まで、あまりにも短い時間で有名になりすぎてそれが芸人としての悩みになってしまいました。
自分の芸人としてのやりたいことと、テレビ局の番組の作り方との考えの違い。
それが時間を追うごとにストレスとなって梶原雄太さんの心身を蝕んでしまいます。
体が悲鳴を上げていることに我慢できず、ドタキャンもして周りに迷惑をかけてしまいました。
それらの苦難を乗り越えて、YouTuber「カジサック」として活動できるのが、今の自分に合ったやり方だと納得しているようです。